【観劇】PLUTO再演

私の大好きな舞台。

そして、私の大好きな土屋太鳳ちゃんの初舞台。

 

 

繁忙期ってわかってるくせに、平日にチケット取って、午後休もらって行ってきました。

 

正直3年前に見たときの印象が「本当に素敵な舞台」だったから、

期待が大きすぎて、大丈夫かなって不安になってた。

「再演」って難しい。

 

でも、やっぱり、大好きな舞台だった。

3年前に見たときは、周りのダンサーさんたちの動き、セットの変わり方、

バラバラに動いている全部がピタッと当てはまって、

本当は舞台って演者さんの個性が出るのが好きなんだけど

この場合は、ダンサーさんたちみんなが物質のような形で、

みんなで手を繋いでモノを作ってるような感じで。

それに心の底から感動した。

 

今回もやっぱり同じで、

その全てをコントロールしてる演出はすごいなと改めて感動した。

 

3年前と違う気持ちで観れたのは、

話、セリフがすっと私の中に入ってきてた。

前も観終わったらきょんちゃんと、

「あれはどういう意味だ」とかいろいろ話し合ったけど、

ぶっちゃけよくわかんなかった。

立ち見だったから疲れてたし。笑

 

ゲジヒト、アトム、生まれ変わったアトム、天馬博士、サハド・プルートゥ、アブラー、そして、ウラン

それぞれが、それぞれの持った感情を繋ぎ合わせて、

順番に受け継いで、不器用に遠回りをしながら答えを拾い集めていく。

ロボットって本当は無機質なはずなのに、

この世界はものすごく人間的だった。

 

「憎しみ」という感情が絶対に人、ロボットを殺さない完璧なプログラムを超えて、

また新たな「憎しみ」を生んでしまう。

でも、その「憎しみ」はきっと「悲しむ」ことに変換できる。

「憎しみ」は「優しさ」でコントロールできる。

 

まとめると解釈はこんな感じかなと思いました。

 

ゲジヒトは、完璧なはずな自分に悩んで、

優秀だから答えが見えてるのに、優秀だから信じられなくて。

でも、たしかに答えを拾い集めて、アトムに託した。

毎日同じ生活をしているその日々の中で、

最強の7体が順番に殺されているニュースを見て、

ヘレナが心配する気持ちもそれを安心させようとする気持ちも

全部、人と同じ「感情」だと思う。

みんな真似事だと言うけれど、それも結局その線引きなんてわからないんじゃないかな。

私たちだってわからないし。

泣いてるのはパフォーマンスかもしれないし。

 

アトムは、多分戦争の時点で、「悲しい」という感情は感じ取ってた。

でもそれは何かを動かすようなものじゃなくて、些細な動きだった。

まだまだロボットだった。

天馬博士がお前は失敗作だと言ったのも、そこかな。

優秀な子だったんだよ。すごく。

 

その一方で、お茶の水博士が作ったウランは、

ウラン自体の感情はどうなのかはわからないけど、

「感情」を汲み取るウランのプログラムは、

最後にロボットたちを救った。

結局、ロボットはロボットにしか救えないのかもしれない。

でも、「憎しみ」は「優しさ」で救えるということをウランは教えてくれた。

 

原作はわからないけど、

あの舞台の短い時間の中では、そのウランの立ち位置はすごく重要だと思った。

 

人の感情って本当に複雑だな、と。

その複雑さが、違う方向へ向いてしまうと争いを生む。

けど、その複雑さは、一つ一つ人から人へ伝わりながら、形を変えて、日々を作っていってる。

それを教えてくれたのがロボットだっていうところが、この話の本当に皮肉なところだなあ。笑

 

太鳳ちゃんの初舞台が私の大好きな舞台でよかった。自己満。笑

なんで太鳳ちゃんが好きなのかわからないんだけど、

向き合おうとするその姿勢が好きだから、

この舞台にも真摯に向き合おうとしたんじゃないかなと勝手に思ってる。

真摯に向き合う作品として、とっても価値がある作品だなと思った。

 

ま、結局役者さんがなにを考えてるかなんてわからないんだけどさ。笑

 

長い長い。

まだまだ書こうとしたら書けるけど

疲れたからやめよう。

 

また観に行きたいな。

この作品に出会えたことに感謝。